鳥取地方裁判所 昭和31年(ワ)176号 判決 1963年9月27日
原告 法花寺区
被告 三代寺区
主文
本件訴えを却下する。
訴訟費用は原告代表者区長今井信篤の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「原、被告共有にかかる別紙第一物件目録記載の土地(以下第一物件と略称)中、第二物件目録記載の土地(以下第二物件と略称)を原告に、第三物件目録記載の土地(以下第三物件と略称)を被告に、分割する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、
その請求原因として、
「原、被告は明治初年の地租改正当時(以下旧時代と略称)は邑美郡法花寺村、三代寺村としていずれも独立の地方公共団体であつたが、その頃第一物件を共同で政府から払下(売渡)を受け、その所有権を取得し、以来持分平等の共有関係に入り現在に至つている。然らずとするも、現行民法が施行された明治三一年七月一六日以後原、被告は右物件を所有の意思を以て平穏公然善意無過失に共同して占有して来たから右時期より一〇年後には時効により所有権を共同取得し、持分平等の共有関係に入つたものである。そして原、被告はその後町村合併により明治二二年に鳥取県岩美郡宇倍野村に合併され、ついで、昭和三二年には右宇倍野村が同郡国府町に合併された。而して原、被告は財産区に非ざる区(地方公共団体の一部)である法花寺、三代寺各部落として存続しているが、原、被告間に該共有物件の管理等につき意見が対立し、前記共有関係の継続はその管理上不便となつたので、原告においてその分割を被告に請求したところ、被告はこれに応ぜず、協議が調わないから、右共有物件の分割を求める為本訴に及んだ。而して両者の地域的その他諸般の情況を勘案すれば、第一物件の内第二物件を原告に、第三物件を被告にそれぞれ取得させるのが相当であるから、右のとおりの現物分割の裁判を求める。」
とのべ、
「本訴は、地方公共団体の一部としての原告が地方公共団体の一部としての被告に対し提起した訴であつて、法花寺区、三代寺区にそれぞれ居住する住民を以て構成する集団を原、被告とするものではない。そして原告が自ら及び被告を称して区というのは右の前者の謂である。」
と釈明し、
被告の本案前の抗弁に対し、
「抗弁は全部争う。
即ち(被告抗弁(三)につき)原、被告は前記のとおり財産区ではない。蓋し、財産区とは、元来町村合併に際し合併関係町村の間においてその基本財産の所有について著るしい不均衡がある等、これを統合して合併町村に属させることが適当でない特別の事情がある場合において、地方自治法第七条第四項による協議により、合併前の町村を単位として設定されることが許されるのみであつて、(昭和二八年九月一日法律第二五八号町村合併促進法第二三条第一項四号、地方自治法第二九四条第一項)本件の如き区(部落)有財産については財産区となる途は完全にとざされているからである。だから、原、被告には財産区固有の地方自治法上認められた意思機関もない。
(同(四)につき)、仮に旧町村制一二四条により本件物件が区有財産であるとして村長の管理、議会の処分の議決なる公法的規制の許におかれて来たとするも、昭和二九年三月宇倍野村議会は議決により自己の処分権及び村長の管理権を原、被告に譲渡したので右規制は外された。
(同(五)につき)、被告主張の頃、協議があつた事実は認めるが、その際、地盤所有権が分割された事実はなく、該協議により部落住民の入会権による収益の対象たる土地が限定されたに過ぎない。又三代寺区内世帯員の占有も所有の意思を以てしたものではなく、前記の協議により限定された土地部分につき入会権を専行していたにすぎないから時効の問題はおこり得ない。」
とのべ、
本案の答弁に対し、
「被告の主張は全部争う。被告主張の如く各戸平等に入会つてはおらず、原、被告は部落として平等の割合で占有使用収益して来たものであつて、このことは税金を折半して負担して来た事実からも明らかである。」
とのべ、
証拠として、甲第一乃至四号証、同第五乃至八号証の各一、二、同家九乃至一二号証を提出し、証人桑原英雄、臼井信一、青木廉治の各証言及び原告代表者今井信篤の尋問結果を援用し、乙第九号証の一、二及び同第一二号証は不知、その余の乙号各証の成立を認める。
とのべた。
被告訴訟代理人は本案前の申立として、主文第一項同旨の判決を求め、本案の申立として「第一物件中鳥取県岩美郡大字三代寺字栗牛四六五の一、原野五町五反二畝九歩及び同字四六五の二畑七畝一〇歩(元原野六畝歩)を除くその余の同物件の内同郡大字三代寺字奥笑道所在七三官有地溜池七畝一九歩の北側堤防の南縁線を東西に延長したる線より南側の右大字奥笑道全部を原告に、その余を被告に分割する」旨の判決を求め、本案前の抗弁として、
「(一) 請求原因中地方公共団体の一部としての原、被告が第一物件を共有している点を否認する。即ち、第一物件は徳川時代及び明治初年(以下旧時代と略称)より現鳥取県岩美郡国府町字法花寺、同三代寺の各区域に存した法花寺村三代寺村の住民が各戸平等の割合で入会つていた土地であつて、その後かかる入会権者の集団である右両村住民を以つて構成する集団にその入会地盤たる第一物件の所有権を付与され爾来右集団において所謂総有を続けているもので、当初から公共団体たる右両村が払下げを受けたものではない。
(二) 然らずとするも、原、被告が共有するものでなく、旧法花寺三代寺を合した村又は部落、現在では国府町三代寺区及び法花寺区を合したものが一箇の公共団体の一部たる財産区として単独の所有権を有しているのであつて原、被告間には共有関係がない。
(三) 然らずとするも、原告主張に従えば正に原、被告は地方公共団体の一部が財産を有することになり、地方自治法第二九四条以下古くは町村制第一二四条以下の財産区に該当し、財産区の財産の管理処分はその属する町村の財産の管理処分の例によることになるから右財産に関する訴は国府町長が代表してなすべきであつて原告区長にはその代表権はない。
(四) 更に本訴の共有物分割は財産区有財産の処分に該当し、財産区の財産の処分にはこれを包合する普通公共団体の議会の議決を要するところ、国府町はかかる議決をしたことはなく、又昭和二二年五月二二日同町に合併前の宇倍野村村会は本件の如き財産区有財産の処分はその区の構成員の多数決による処分案を必要とする旨議決しているに拘らず未だに原、被告にはかかる処分案が成立していない。
(五) 然らずして原告が財産区に非ずして尚地方公共団体の一部として当事者能力を有するとするも少くとも第一物件中大字三代寺字栗牛四六五の一原野五町五反二畝九歩及び同四六五の二畑七畝一〇歩(元原野六畝歩)は大正一一年二月八日原、被告の協議により三代寺区内全戸の総有に帰している。仮に然らずとするも、右同日以来継続して三代寺区内全戸は該土地を自分等の総有地として平穏且公然善意無過失に一〇年間占有し、然らずとするも平穏且つ公然に二〇年間占有したから、既に時効によりその所有権を総有形式で取得し、右土地に関する限り原告の持分権は消滅している。
よつて、以上いづれの理由によるも本訴は不適法で却下を免れない。
とのべ、右に対する原告の主張に対し、
「法花寺、三代寺両区に地方自治法で認められた財産区管理の機関のないことは認めるがその余は争う。」
とのべ、本案の答弁として、
「原告主張の分割案は従来の原、被告両部落住民が各戸平等に第一物件を使用収益して来たこと、被告が慣習上の傍地権による取得分約二割を有することを無視する形式的なもので著るしく不適当である。右実情を勘案すれば本案の申立においてのべたとおりに分割さるべきである。」
とのべた。<証拠省略>
理由
原告は明治初年頃公共団体として独立行政単位をなしていた村であり、現在は公共団体である鳥取県岩美郡国府町の一部であつて、しかも地方自治法上の財産区に非ずして私法人として人格(右一部居住民を以つて構成する私法上の集団でもないこと釈明のとおり)を有するところの原、被告が第一物件を共有すると主張するのでかかる原、被告の当事者能力につき先づ考える。
現行法上地方自治法において地方公共団体の種類を特定しこれのみに法人格を認めている趣旨よりすれば、地方公共団体の一部は財産区でない限り法人格を認められず従つて権利能力がなく、又地方公共団体の一部であることから当然に民事訴訟においてのみ当事者能力を有する権利能力なき団体ともなり得ないものと解すべく、更に本件における主張の如く旧町村制施行当時より存する所謂「旧財産区」たるためには原、被告である法花寺区、三代寺区が旧町村制施行以前より当時の公共団体たる独立行政単位としての所謂「旧村」として財産又は営造物を所有していた事実が認められなければならない。そこで、以下右事実の存否につき考える。
成立に争ない甲第四号証、同第五、六、七号証の各一、二及び証人桑原英雄、同青木廉治の証言及び口頭弁論の全趣旨によれば、昭和二九年三月末旧宇倍野村議会は、同村村長の提案により、第一物件が昭和二二年五月三日付ポツダム政令第一五号第二条により右村有となつたことを前提としてこれを前記両大字部落に返還する旨の議決をなしたこと、及び部落有土地調書及び土地台帳謄本には第一物件の所有者として「三代寺、法花寺村」と(後者については第一物件中分筆により生じた新地番につき)記載されていることが認められ、これらの点よりみると、旧法花寺村、旧三代寺村が従前より第一物件を所有していたものの如く見えないでもないが、他方前掲各証拠によれば、右議決は前記政令が戦時中の町内会、部落会又はその連合会の強制解散に際しこれらに従来属していた財産を終局的にその属する市町村に帰属させることを趣旨とするものであつたのにすぎないのに、これを誤解した結果なされたものと考えられ、又前記部落有土地調書、土地台帳謄本の所有名義の点については、これらの調書、台帳謄本は前記宇倍野村議会の議決の際旧台帳等に基き調製されたもので、同じ台帳謄本中分割前の第一物件各々(枝番が一番のもの)については「国府町大字法花寺村、大字三代寺村村中」と記載されており、これと同様に記載さるべきところを誤記又は簡略化されたものと推認されることより、前記記載が明治初年の所謂村中持と区別される意味で、即ち行政単位村たる村を意識した上での村持の趣旨で記載されたものとも考えられず、他に旧法花寺村、旧三代寺村として第一物件を共有していた事実を認めるに足る証拠がない。かえつて成立に争ない甲第八号証の一、二、同第九、一〇号証、乙第一乃至六号証、同第七号証の一乃至六七、及び証人井上保太郎の証言(第二回)により成立を認める乙第一二号証並びに証人石谷豊、井上正幸、井上保太郎(第一回)、福田泰蔵の各証言及び原告代表者本人今井信篤の尋問結果を綜合すれば次のとおり認められる。
現鳥取県岩美郡国府町大字法花寺、同三代寺の地域は、明治初年頃は夫々独立した行政村たる邑美郡法花寺村、三代寺村の区域をなし、その後明治二二年の町村制施行により国府町の一部である大字法花寺、三代寺となり、更に旧宇倍野村次いで国府町の一部たる大字の地域となり、現在に至つているが、古くより(おそくとも明治初年の頃から)現在に至るまで(途中入会地の一部について後記の分割後はその部分に限り独占入会の形態をとるが)右両地域に住む住民が各地域毎に集団を形成し農業協同生活を営み、両大字間には権益の差なく世帯単位で第一物件に慣行的に入会つて来たもので、右住民は夫々長年月の共同生活を通じて形成された各地域単位の規約に基き、それぞれの農業協同生活体の一代表機関たる区長(三代寺区では更に副区長)その他の役員として伍長数名を設け、これを毎年初回の右地区単位の住民総員(但し世帯単位)の会合(町村制施行後は区会と呼ばれている)で互選し、その年の農事の方針計画、農業労働の労賃額、川魚の漁獲権の入札等を協議又は決定し、又この区会及び随時の区会で第一物件の入会に関する諸事項、即ち、入会地の道路の敷設、修繕、その他の役務の賦課に関する事項、入会山林の消防、山番、その他入会地の監視に関する事項(例えば、造林木窃取者に対する料金、発見者に対する報酬料金の積立)入会収益の分配方法に関する事項等を決定し、右両地区民が自らこれを守り、右入会に関して両部落で交渉の必要な場合には各団体の区長、伍長が団体構成員を代表して(例えば、後記認定の入会地分割或いは造林等の契約においては右区長、伍長が代表者として契約書に連署捺印している)交渉に当る外、かかる集団的農耕入会地の管理に要する費用及び租税は通常入会収益や諸種の入札収入の積立金でまかない、必要に応じ戸数割で徴収して来たことが認められ、この区長や区会は明治初年の行政単位たる旧村の行政機関たる村長、村会、戸長更には旧町村制第六八条の行政区の区長、同第一二五条の財産区の区会とは明かに無関係なものと考えられる。そして明治初年の旧村の農民生活が一般に自給自足的農耕生活を主要部分とし、慣行に基く入会生活をその不可欠の補充手段としていた点を考え併せると、本件三代寺、法花寺各地域にはおそくとも明治初年頃には既に前記農耕と入会生活を契機とする地域的農民生活協同体が行政村とは別に強固に存在していたものと認めることができ、その法律的性格は一種の権利能力なき社団であると解することができる。そして、前掲証拠によれば第一物件の土地台帳(これは地券制度を承継したものとされている)には権利者として「法花寺村、三代寺村、村中」と記載され、地租の領収書の納税者として「三代寺、法花寺入会」と記載されていること、後記の分割契約書にはその土地所有につき「前記の地所従来入会所有権の処(中略)無期限地権分割を契約す」旨の記載があること、大正一一年六月八日第一物件中三代寺四五五番の一字粟井谷、同四六五番の一栗牛、同四六五番の二前同字の入会地を法花寺区三代寺区に分割して(所謂「分け地」)分割地を各区が独占入会することとし、又大正一三年九月一七日には第一物件中奥笑道四五九番の一原野に造林をなすことにし、両区民立会の上その権利地を決めたこと、雑税に非ざる地租を前記の如く古くより前記のような農民協同体の出捐において納めて来たこと、入会山畑の賃貸(例えば昭和一三年三代寺区独占地となつた所を年玄米四斗期間一五年の約で訴外青木富吉に賃貸し、又同一一年九月一七日には両区入会の第一物件中三代寺袋谷原野一反歩を法花寺青年会に年宛口米一年五升、期間二〇年の約で開墾の目的で賃貸した)による宛口米(賃料)は両区で戸数割に分配したこと、その他入会地所に関しては両部落民は「住民みんなもち」の意識を有し、入札せり売境界確定、立木窃取者に対する科金決定、山番設置等を実施して今日に至つたこと(反面公共団体たる旧時代の村、旧町村制時代の村、自治法施行後現在に至るまでの村、又は町の各法制上の行政機関たる村会、町会、村長、町長等が旧村時代では公共団体の財産としてその後は旧町村制第一二四条、地方自治法第二九四条に基いて、第一物件を管理して来たつた事が証拠上全く認められない)が認められ、これに本来慣行による入会権の内容はおおむね下刈りによる薪炭木の採取、牛馬の飼料の採取、肥料としての雑草木の採取等農耕生活の補充手段的なものを主とし植林、立木の伐採売却、開墾、賃貸というような処分を附随的にも内容とするものでないことを併せ考えれば、むしろ第一物件は権利能力なき社団たる大字法花寺区大字三代寺区が右両村村中持の名義で地券交付を受けた民有地であつて右両団体の共有に属し、各団体においてはこの共有持分権をその構成員たる各世帯が講学上所謂総有の形態で共同所有する(尤も前認定の分け地となつた部分については規約上の制約付で世帯が単独で所有する段階まで総有が解体していると見るべきか否かが問題となるがこれは今しばらくおく)ものと推認するを相当とする。
以上のとおり旧町村制施行前の独立行政単位たる原、被告の前身である法花寺村及び三代寺村が財産又は営造物を有しないのであるから、原、被告は「旧財産区」ではない。又地方自治法上設置を認められた新財産区の主張のないことは弁論の全趣旨より明らかである。次に原告は、原、被告の第一物件についての共有権取得原因として時効取得を主張するが、前記のとおり公共団体の一部は財産区でない限り法人格がないから権利を取得する主体たりえないこと明かで(原告の主張は主張自体失当たるのみならず、)町村の一部が財産区たるためには旧町村制第一二四条において明らかな如く同法施行前より公共団体たる旧村として財産を所有していたことが必要で即ち旧町村制上の財産区は設置により又は事後の行為により発生するものでないのであり、しかも旧財産区はその発生根拠より更に大きな財産を取得しうべき権利能力はないところ、原、被告の前身である法花寺村及び三代寺村が旧町村制施行当時公共団体たる行政村として財産又は営造物を有していないこと前認定のとおりであるから、原、被告が旧町村制施行後時効取得により本件第一物件の共有権を取得して旧財産区となつた若くは財産区としての時効取得の主張も又主張自体理由がない。
以上の次第で結局法花寺区三代寺区は地方公共団体の一部としては存在の余地がなく、又財産区として第一物件を共有する事実も認められない(法花寺区三代寺区が一般私法上の権利能力なき代表者の定めある社団として存立しているものと認めるべきことは前記のとおりであるが、本件訴がかかる者を原、被告とするものでないことは原告の釈明するところである)から、本件訴は当事者能力のない者の提起した訴としてその余の争点につき判断するまでもなく不適法として却下すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九八条、第九九条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 秋山正雄 今中道信 杉本昭一)
別紙
第一物件<省略>
第二物件<省略>
第三物件<省略>